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「アドバンス セミナー 日ロ外交史(最終回)」

■2019/01/08 「アドバンス セミナー 日ロ外交史(最終回)」
「アドバンス セミナー 日ロ外交史(最終回)」
新年明けましておめでとうございます。このお正月はいかがでしたか?
本年もアドバンスセミナーにお付き合いください。

昨年からシリーズになっている日ロ外交史の最終回です。

①大正デモクラシー期
・社会主義国の成立は日本の社会運動に大きな影響を与え、労働争議・小作争議・女性解放・部落差別解放運動に盛り上がりが見えた。
・1925年、政府は普通選挙法を成立させたが、社会主義や社会運動の広がりを恐れた政府は、同時に治安維持法を成立させ、社会主義運動の弾圧を行った。
・プロレタリア文学の作家、小林多喜二が公安警察によって殺される事件も起こった。

②第2次世界大戦(太平洋戦争)期
・世界恐慌後、対立する英米との戦争に備えるため、日本はソ連と1941年、日ソ中立条約を締結。すでにドイツと戦争状態にあったソ連は、日本・ドイツによる東西挟み撃ちをおそれ、この条約を結んだ。ソ連は、この条約によりシベリアにいる軍隊をモスクワ・スターリングラード(現ボルゴグラード)の防衛につぎ込むことが出来、ドイツの猛攻を防ぎ切ることに成功。
・1945年、太平洋戦争の戦局が悪化する中、日本は、秘かにソ連を仲介にして、米英と講和する交渉を始める。しかし、ソ連は日本には秘密にヤルタ協定で千島列島をソ連に引き渡す代わりに日ソ中立条約を破棄し、対日参戦する事を決めていた。
・同年8月、広島・長崎の原爆投下に続き、ソ連が対日参戦し、満州・南樺太・千島列島などから進行。日本はついに無条件降伏を受け入れる。

③戦後~日ソ共同宣言まで
・ソ連軍にとらえられた男性は、シベリアに送られ、重労働や厳しい寒さの中、6万人以上が犠牲になった。
・1951年、日本はサンフランシスコ平和条約で米英など資本主義国側として独立を果たすが、社会主義国ソ連などの反対で国際連合に加盟できなかった。
・1956年、日ソ共同宣言で戦争状態の終結・シベリア抑留者の全員帰還・日本の国際連合加盟を認められた。
領土問題は棚上げし、日ソ間で平和条約締結後、歯舞群島・色丹島は日本に返還、とされている。

④その後
・ソ連は崩壊し、現ロシアとなり、その間にも幾多の交渉があったが、領土問題の解決には至っていない。北方領土でのビザなし交流や、日本の経済援助があるが、これが領土問題解決に至るかは不透明であるのが現状。

領土問題の交渉は、ここからが山場。特大な時事問題ができるきっかけが出来ればいいと思いながら、日ロ外交史を終えたいと思います。




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